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November 11, 2009

「民主主義の舞台」をめざして:自治体議会の新展開

所沢市民のブログ「傍聴席」(11月9日)を紹介します。

このブログのタイトルは“所沢の民主主義をサポートするささやかなメディア”となっていますが、貴重な情報を提供頂き感謝しています。今回は、法政大学教授・廣瀬克哉氏の「第15回 議会ウォッチャーとの効果的な連携」ですが、市民も議員も考えさせられる内容が盛り込まれています。

<議会ウォッチングの広がり>

議会改革で全国的に注目を集める自治体が登場してきたことに刺激を受けてか、市民の議会への関心は少しずつ高まってきている。そのあらわれのひとつが、各地に増えつつある議会ウォッチングの動きである。

かなり長い期間にわたって持続的に活動している会もあるが、最近になって活発に動き始めるグループが多数登場してきている。そして、新たに議会ウォッチングを始めた方の多くにとっては、現状の議会のあり方への疑問や不満がつぎつぎと沸いてくるという状態にあるようだ。

勢い、議会ウォッチングのレポートは辛口の評価が中心になる。議会によっては一般質問をほとんど行わない議員が多数存在する場合もある。表決に際しても、本会議で討論が行われない議案の方が、行われる議案よりも遙かに多い例も多い。代表者として公費から相当額の報酬を支給されている立場にありながら、それに見合う活動をちゃんとしているのか、という疑問が呈されるのが一般的だ。

<議会からの反発>

このような議会ウォッチャーからの評価に対しては、議員側からの反発も強い。有権者からの評価である以上、なかなか表だっては反論しにくい面があるため、公式の場で反論が展開されることは稀だが、非公式な場では相当強い反論が表明されることがある。特にベテランの「有力議員」と呼ばれるタイプの議員の間には、相当強い違和感があるように思う。

このような違和感には、まったく根拠がないわけではない。一般質問をほとんどしないタイプの議員にも二種類があって、政策的な知識や能力が低く一般質問をこなせないタイプと、一定以上の力量があって、地域の政策課題についても実際上は問題解決を実現できるタイプである。ベテランの有力議員の中には、この後者のタイプが少なくない。

なぜ、後者の議員が一般質問をしないかというと、一般質問という制度が、このタイプの議員の目から見ると、効率が悪く、実効性に乏しいからに他ならない。

議員の下に持ち込まれる、要望や相談ごとなどについては、実際に問題を解決するような実効性ある成果を得ようとすれば、議場で正面から議論することよりも、問題を直接行政や首長に持ち込んで、行政の対応として解決してしまった方が早いことが多い。日本の自治体運営が、圧倒的に行政優位の実態にあり、制度もそれを支える方向で構築されているという性質が強い以上、少なくとも短期的な実効性を優先するなら、議会審議で取り上げるよりも、行政との直接交渉の中で要求を通していく力をつけた方が、遙かに効率的なのである。

ベテランの有力議員の中には、そのような直接交渉力こそが、議員としての実力であり、一般質問など議場の中で取り上げることによって答弁を引き出すのは、せいぜい事後の確認手続程度のものだという認識が支配的だ。一般質問の場で何とか実質的に意味のある答弁を引き出そうとするのは、直接交渉力のない、すなわち議員としての力量が不足している議員が頼る、次善の手段に過ぎないという感覚がある。

ところが、議会ウォッチングによってつけられる「成績表」の上では、実力者である自分の成績が、力量不足の議員よりも下になってしまう。そこから、議会ウォッチングに対しては、議員の仕事の実質を理解しないで、表面的なパフォーマンスだけを評価していてけしからん、という反発が生まれるのである。あるいは、議会ウォッチャーたちが内心政治的に支持する会派や政党の議員の評価を上げるために基準を設定しているのではないか、という疑念を持つ人もいる。

<不幸なすれ違いの構造>

ところが、一般の有権者の目から見ると、先に紹介したようなベテラン議員の行動は、ほとんど目に入ることがない。議会審議という観点で言えば、首長から議会に議案が提出される前に実質的な決着を付けてしまうのだから、目に入るはずがないのである。

議会ウォッチングが広がってきている背景には、議会の働きが外部からはまったく見えないという実態がある。ある自治体に議会が存在することによって、その住民にとってどんなメリットがあったのか、それが見えていない。まずは議会活動の実態に目を向けて、あらためてそれを検証してみようという関心をもつ人が増えているということなのである。

ところが、まずは目に見えるところから議会の実態を把握し、記録し、公表する活動を始めて見ると、少なからぬ議員から反発を受け、時として(特定政党を支持するためにやっているのではないか、といった)身に覚えのないレッテル貼りをされてしまうことさえある。議会ウォッチャーとしても、それに対してますます反発し、酷評が募っていくことにもつながる。

議会の側は、せっかく一般市民が議会に関心を向けてくれたのに、議会の実質的な機能をうまく伝えられず、結果的に反発を受けるだけに終わってしまっている。議会ウォッチングの側は、議会をよく理解したうえで、より良い地域を作っていくために、議会の機能を向上させていく一助になろうとしたのに、かたくなになってしまった議会は、期待したような方向への改革に進もうとはしないという壁にぶつかってしまう。何とも不幸なすれ違いの関係ではないだろうか。

<議会の役割についての共通了解をつくる>

つまるところ、議会が果たすべき役割についての共通了解が、議会と市民の間に存在していないということが問題なのである。ベテラン議員が思い描いている「ちゃんと仕事をする議員」のあり方と、一般市民が思い描くそれとは、あまりにもかけ離れているのが実情だ。

これはどちらが悪いという話ではなく、相互のコミュニケーションが不足しているところに根本的な原因がある。そして、選出する側と選出される側の役割分担という観点からは、やはり選出された議会の側から、積極的にコミュニケーションを図っていくことが求められているというべきだろう。

私自身は、ちゃんと仕事をする議員のあり方について、右に述べたようなベテラン議員たちとは少し見解が異なり、政策的な実効性の確保以上に、論点や争点の発見、公開機能の方が、議会としてより優先しなければならない役割だと考えている。このような見解に反対の考えをもつ議員の方々も少なくないと思うが、そのような方々も、その考えを有権者に示して、それに納得してもらう必要性があるということについて異論があるわけではないだろう。

まずは、そういうあるべき議会像の違いについて、率直な意見交換をすることが、市民と議会との生産的な関係の構築のためには不可欠なことだ。議会ウォッチングの広がりと、それによって示される評価への議員側の違和感の広がりは、そんなコミュニケーションのきっかけを提供してくれているのではないだろうか。

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